L.v.ベートーヴェン:チェロソナタ第3番、イ長調、作品69(1807~1808)
1802年の「ハイリゲンシュタットの遺書」で、ベートーヴェン(1770~1827)は自身の難聴問題からの絶望を乗り越えて、音楽家としての自立を宣言している。1803年からの約6年間は「名作の森」と言われる創作期間となり、グライヒェンシュタイン男爵に献呈されたチェロソナタ第3番は、交響曲第5番「運命」と第6番「田園」の間に書かれている。しかしこの時期、オペラ《フィデリオ》は失敗に終わり、1808年12月末の作品発表会では第5番・第6番の交響曲、自身のピアノによるピアノ協奏曲第4番など新作は不評であった。その上、終身年金の支給を約束していた3人の有力貴族のうち一人が落馬死、一人は破産で契約不履行となり、ベートーヴェンが訴訟を起こさざるを得なくなるなど、人生は困難に満ちていた。しかしベートーヴェンの作品は、苦悩を感じる部分は描かれてはいても、生への謳歌、自然描写のすごさ美しさ、堅固な構造の純粋な芸術性で聴く者の心を圧倒する。
チェロソナタ第3番は、チェロとピアノの2つの楽器が交互にテーマを提示するデュオソナタ形式で書かれた全3楽章の堂々とした作品である。イ長調の第1楽章は、チェロのソロで始まるイントロダクション付きのダイナミックなソナタ楽章。第2楽章はスケルツォ楽章。イ短調でピアノの3拍目から始まる特有のリズムの動きに満ちたセクションと、イ長調のウィーンのレントラーを彷彿とさせる旋律部分が対になり、繰り返される。第3楽章はホ長調の緩徐部分と、イ長調の生き生きして動きに満ちた部分からなる。
P.I.チャイコフスキー:ピアノトリオ「偉大な芸術家の思い出」、イ短調、作品50(1881~82)
19歳で法律学校を卒業と同時に法務省に採用されたチャイコフスキー(1840~1893)だが、音楽の道が諦められず、ペテルブルグ音楽院でアントン・ルビンシュテインから音楽を徹底的に学び、法務省をやめ、卒業と同時に新設のモスクワ音楽院の教師となる。そこでアントンの弟ニコライ・ルビンシュテイン音楽院院長や劇作家、出版家など多くのすぐれた友人と出会い、彼らはチャイコフスキーの作風の確立や創作活動に大きな影響を与えた。
恩師と創作上の信念の違いで仲たがいするチャイコフスキーだが、その後、弟のニコライが親友となり共に働く中で、ロシア音楽協会を設立してロシア音楽文化の交流に大いに貢献したアントンとも友人となる。チャイコフスキー41歳の時にアントンの死に接し、「偉大な芸術家」として本作品で古典的な作風を用いて彼への敬意と追悼の気持ちを示した。
大きな2楽章からなる長大な作品で、全体はアントンを象徴する保守的な作曲語法に基づいている。長いフレーズ、とくに各フレーズのクライマクスを同じモチーフによる繰り返しで収めてゆく技法など、古典的な書き方が基本だが、その中でもチャイコフスキー特有の「弾きにくい」モチーフが随所に登場する。第1楽章はイ短調。感傷的な第1テーマ、躍動的な第2テーマ、抒情的な第3テーマによる大規模なソナタ形式。ホ長調の第2楽章大きく2部に分かれ、第1部は民謡調のテーマと11の変奏曲。第2部はフィナーレとなる12番目の変奏曲とコーダで大規模な終結部になっている。今回は第1楽章と、第2楽章より第2部フィナーレとコーダを抜粋で演奏する。 (立神粧子)
第23回カイパーサタデーコンサート |
第23回 カイパーサタデーコンサートは終了いたしました。 |
プログラム |
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プログラムノート
プロフィール |
立神粧子(S51)
歌曲伴奏・室内楽など共演ピアノが専門。東京藝術大学卒業後、国際ロータリー財団奨学生として米国に留学。シカゴ大学(音楽学・修士号)、南カリフォルニア大学(共演ピアノ・博士号)を首席で修了。コルドフスキー賞2年連続受賞。シカゴ・コンチェルトコペティションで優勝。1992年以来、日欧米の主要オーケストラ首席奏者・歌劇場のソロ歌手たちと国内外でリサイタル共演多数。ベルリン・フィルのシュテファン・ドールなどからの信頼も厚い。また認知機能の神経心理ピラミッドを紹介した著書『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院、2010年)は、脳神経外科内科・リハビリテーション医療の分野で話題に。現在、フェリス女学院大学名誉教授、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー、日本ピアノ教育連盟理事、米国Pi Kappa Lambda会員、白菊会会員。
中野りりあ(S39)
日本写真作家協会(JPA)元会員 (S39 中野節子)
長年ネーチャー系の写真を撮っていましたが、デジタルカメラが出始めたのを機会にスナップおよびイメージ写真に変更。
海外や横浜の写真を「ちょっぴり幸せな時」をテーマに発表しています。
フェリスで育ったお蔭でこのテーマが持てたのだと感謝しております。
小さな幸せを大切にすれば、その輪が広がって、やがて大きな幸せに繋がるのだと思います。
戦争などでその小さな幸せが潰されないようにと祈っております。
*1998年&1999年 個展「エジプト光と影」
*JPA公募展、キャノン公募展、ピクトリコ公募展、世界遺産公募展、読売YPC,神奈川県展、日本カメラ等で受賞多数
*東京都美術館、東京都写真美術館、横浜市民ギャラリー、画廊「楽」などにて年数回の写真展に参加
全62作品を「Web写真展」lilia.web-prophoto.comに掲載。
「小さな宝石箱」に22作品
「ちょっぴり幸せな時」に40作品
長年ネーチャー系の写真を撮っていましたが、デジタルカメラが出始めたのを機会にスナップおよびイメージ写真に変更。
海外や横浜の写真を「ちょっぴり幸せな時」をテーマに発表しています。
フェリスで育ったお蔭でこのテーマが持てたのだと感謝しております。
小さな幸せを大切にすれば、その輪が広がって、やがて大きな幸せに繋がるのだと思います。
戦争などでその小さな幸せが潰されないようにと祈っております。
*1998年&1999年 個展「エジプト光と影」
*JPA公募展、キャノン公募展、ピクトリコ公募展、世界遺産公募展、読売YPC,神奈川県展、日本カメラ等で受賞多数
*東京都美術館、東京都写真美術館、横浜市民ギャラリー、画廊「楽」などにて年数回の写真展に参加
全62作品を「Web写真展」lilia.web-prophoto.comに掲載。
「小さな宝石箱」に22作品
「ちょっぴり幸せな時」に40作品